コラム第23弾
X1からEPSON 98互換機へ
――私物PCから始まった、学校コンピュータ導入の時代
文・磐田井|Ban.Tai Education Design
シャープX1を手にした頃、私にとってパソコンは、まだ「仕事の道具」というより、新しい世界を覗くための機械だった。
BASICでプログラムを書く。雑誌に載っているプログラムを一行ずつ打ち込む。カセットテープやフロッピーディスクに保存する。画面に色を出す。ゲームを動かす。
X1は8ビット機だった。コンピュータそのものを知り、自分の手で動かす楽しさを教えてくれた機械だった。
しかし、その後、私のパソコンとの関係は大きく変わる。
16ビットの実務機、MS-DOS、そしてEPSONのPC-9800互換機を使うようになってからである。
8ビットのX1から、16ビットの実務PCへ
1980年代前半の8ビットパソコンには、ホビーと学習の色合いが強かった。もちろん仕事に使う人もいたが、私にとってX1は、まず「コンピュータを動かす」こと自体が面白い機械だった。
一方、NECのPC-9801に代表される16ビット機は、文書作成、表計算、データ処理など、実務の世界へ急速に入っていった。
ここで大切なのは、単にCPUが8ビットから16ビットになったということではない。
私の中で、パソコンを見る視線が変わった。
X1では「この機械で何ができるだろう」と考えていた。
16ビット機では「この仕事をパソコンでどう処理できるだろう」と考えるようになった。

MS-DOSと「98」の巨大なソフト資産
16ビットの実務PCを支えたのがMS-DOSだった。
現在のようにアイコンをクリックしてアプリを起動する世界ではない。黒い画面に A> や C> と表示され、そこへコマンドを入力する。
しかし、その上にはワープロ、表計算、データベース、通信ソフトなど、多くの実用ソフトがそろっていった。
日本ではPC-9801シリーズが大きな存在となり、その周囲に膨大なソフトウェアと周辺機器の市場ができた。一太郎や表計算ソフトをはじめ、「98で使える」ということが実務PCを選ぶ大きな基準になっていった。
ただし、PC-9801は個人が気軽に買える値段ではなかった。
本体だけではない。ディスプレイ、フロッピーディスクドライブ、プリンタ、後にはハードディスク。仕事に使える環境を整えるには、相当な費用が必要だった。
EPSONの98互換機という選択
そこで私が使うようになったのが、EPSONのPC-9800互換機だった。
セイコーエプソンは1987年にPC-286を発売し、その後PC-386、PC-486、PC-586へと展開していった。
魅力は明快だった。
PC-9801用に広がっていたMS-DOSソフトを利用でき、それでいてNEC純正機より安価な選択肢があったこと。
もちろん、「互換機だから何でも完全に同じ」という単純な世界ではなかった。一部ソフトにはNEC製機かどうかを判別する、いわゆる「EPSONチェック」が存在した時期もある。
それでも、実務用ソフトを使うためのPCとして、EPSONの98互換機は私には非常に魅力的だった。
ここから私は、98互換機を実務用PCとして使うようになった。
パソコンが「趣味」から「仕事の道具」になった
文章を作る。
数字を処理する。
名簿を整理する。
作ったデータを保存する。
前年の文書を修正して再利用する。
プリンタで必要な枚数を印刷する。
今なら当たり前のことばかりである。
しかし、紙と手書きが中心だった学校現場では、一つ一つが大きな変化だった。
パソコンは、単に作業を速くするだけではなかった。
仕事の手順そのものを変えた。
企業より遅かった学校のコンピュータ導入
企業でパソコンの実務利用が広がっても、学校、とりわけ小中学校への導入は同じ速度では進まなかった。
1989年3月時点の調査では、コンピュータを設置していた学校は、小学校21.0%、中学校44.8%、高等学校96.3%だった。

高校ではかなり進んでいた一方、小学校では、まだ5校に1校程度だった。
しかも「設置校」といっても、今のように一人1台ではない。
同じ1989年の資料では、設置校の平均台数は小学校3.0台、中学校4.3台。主な設置場所は職員室が60.4%だった。

「学校にコンピュータがある」ということと、「全ての教員が日常的に使える」ということの間には、大きな距離があった。
最初は「学校のPC」ではなく「私物PC」だった
私自身も、学校が十分な台数を用意してくれるのを待っていたわけではない。
まず自分で買ったパソコンを使った。
つまり、私物PCから始まった。
自分で本体を購入する。ソフトをそろえる。プリンタをつなぐ。使い方を覚える。そして学校の仕事に使ってみる。
現在の情報セキュリティの考え方から見れば、私物PCを校務に使うことには多くの課題がある。
しかし当時は、そもそも学校に十分な機器がなかった。
「これを使えば、この仕事はもっと速くなる」
そう分かっていても、職場には機械がない。
だから、自分のものを使う。
そんな時代だった。

私物で試し、学校導入へ動く
一人の教員だけが便利になっても、学校全体の仕事は変わらない。
使ってみれば、できることが見えてくる。
名簿、成績処理、年間計画、行事資料、会議資料、保護者向け文書。学校には、同じ形式を何度も作り直す仕事がたくさんあった。
そこで私は、個人で使うだけでなく、学校にもパソコンを導入する必要があると考えるようになった。
どの機種を入れるのか。
どのソフトが必要なのか。
プリンタをどうするのか。
職員が実際に使えるようにするにはどうしたらよいのか。
当時は、学校に専門のICT担当者がいるわけではない。詳しい教員が試し、周囲へ説明し、トラブルにも対応する。
私自身も、そうして学校へのPC導入を進める側に回っていった。
「買うこと」より「使えるようにすること」
この頃から、ずっと感じていることがある。
機械を買えば、それで仕事が楽になるわけではない。
使うソフトが必要である。
使い方を覚える必要がある。
データを保存する方法も決める。
印刷までを一つの仕事の流れとして整える。
誰か一人しか使えないのではなく、他の人も使えるようにする。
そして、トラブルが起きた時にどうするのかも考える。
今で言うICT導入やDXと、根本は変わらない。
機器を置くことが目的ではない。それによって仕事の流れを変えることが目的である。
教員一人1台までには、さらに長い時間がかかった
学校の情報化は、その後も一気に完成したわけではなかった。
校務用コンピュータの整備率を見ると、2005年度33.4%、2006年度43.0%、2007年度57.8%だった。
そして国は、2010年度までに「教員1人1台」の校務用コンピュータ整備を目標として掲げることになる。

21世紀に入ってからも、教員一人1台が当たり前になるまでには時間がかかった。
1980年代末に私物PCを使っていた頃から考えれば、長い道のりだった。
X1とEPSONは、私の中では一本につながっている
X1とEPSONの98互換機は、まったく性格の違うパソコンだった。
X1は8ビット。
EPSON PC-286などの98互換機は16ビット時代の実務PC。
X1ではBASICを打った。
98互換機ではMS-DOS上の実用ソフトを使った。
X1では、コンピュータを動かすことそのものが目的だった。
98互換機では、コンピュータを使って仕事をすることが目的になった。
だが私の中では、これは別々の歴史ではない。
X1で「まず触ってみる」「自分で試す」という感覚を身につけた。その延長で実務PCを使い、さらに学校全体で使える環境へ広げていった。
「自分で使う」から「みんなが使える」へ
振り返れば、私のICTとの関わり方は、いつも同じだったように思う。
まず自分で使ってみる。
便利さを確かめる。
仕事へ持ち込む。
周囲へ広げる。
そして、誰でも使える仕組みにしていく。
PB-100からX1へ。
X1からEPSONの98互換機へ。
私物PCから学校導入へ。
そして、その後の学校ICTへ。
現在、Ban.Tai Education Designで教育計画、週案、名簿など、学校現場の仕事を少しでも軽くする道具を作っていることも、私の中ではその延長線上にある。
1980年代には、「この仕事をパソコンでできないか」と考えた。
今は、「この仕事を新しいシステムやAIでもっと軽くできないか」と考えている。
道具は変わった。
けれども、考えていることはあまり変わっていない。
パソコンを導入することが目的なのではない。パソコンによって、仕事のやり方を変える。
あの頃から今まで、私がやろうとしてきたのは、結局そのことなのだと思う。
文・磐田井|Ban.Tai Education Design
参考資料
・情報処理学会 コンピュータ博物館「PC-9801」「PC-286 Model 0」
・文部省・文部科学省「学校における情報化の実態等に関する調査」関連資料
・文部科学省「教育振興基本計画」関連資料

