コラム第20弾
校門の外に待っていたもの
――紙芝居、写し絵、ひよこ売り。昭和30年代の放課後
文・磐田井|Ban.Tai Education Design
授業が終わり、先生の話から解放される。
ランドセルを背負って昇降口を出て、校門を一歩越える。
その瞬間から、私たちの時間が始まりました。
昭和30年代の小学校です。
学校の中は、先生と時間割が支配する世界でした。しかし、校門の外には、学校とは別の世界が待っていました。
紙芝居屋さんが来ている。
見たことのないものを売る人がいる。
箱の中から、ひよこの鳴き声が聞こえてくる。
そんな日は、まっすぐ家へ帰ることなどできません。
私の家は学校から少し遠かったので、いったん家へ帰ってから、もう一度出てくるわけにはいきませんでした。校門の外に何か珍しいものが来ていれば、ランドセルを背負ったまま、その場へ寄り道しました。
一方、学校の近くに住んでいる子どもたちは、急いで家へ帰り、小遣いをもらって戻ってきました。
手の中には、五円玉や十円玉。
それを大事そうに握り締めて、紙芝居屋さんの周りに集まってきたのです。
拍子木の音に集まった
校門の外で、カチ、カチという拍子木の音が聞こえることがありました。
紙芝居屋さんが来たのです。
自転車の荷台には、木でできた小さな舞台が載せられていました。その舞台の中へ一枚ずつ絵を差し込み、紙芝居屋のおじさんが物語を語ります。
テレビが、まだすべての家庭にあったわけではない時代です。
舞台から一枚の絵が抜かれ、次の場面が現れる。
それだけで、子どもたちは物語の世界へ引き込まれました。
正義の味方が危機に陥る。
恐ろしい悪者が姿を現す。
「どうなるのだろう」
みんなが息を詰め、身を乗り出して見つめます。
そして、最も気になるところで、
「この続きは、また今度」
となるのです。
次に紙芝居屋さんが来た日も、子どもたちは拍子木の音を聞きつけて集まりました。
紙芝居を見るには、お菓子を買う
紙芝居屋さんは、子どもたちに物語を見せるだけの人ではありませんでした。
本当の商売は、駄菓子を売ることです。
紙芝居を見たい子どもは、紙芝居屋さんから水あめやかみせんべいなどを買いました。それが、今でいう観覧料のようなものでした。
水あめは、割り箸の先に巻き付け、何度も練りながら食べます。透き通っていたあめが、練り続けるうちに少しずつ白くなっていきました。
薄いかみせんべいに、梅ジャムやソースを塗って食べるものもありました。
板状の砂糖菓子に描かれた形を、針で割らないように抜いていく型抜きもありました。
五円、十円という小さなお金でしたが、当時の子どもにとっては大切な小遣いです。
学校の近くに住んでいる子は、紙芝居屋さんが来ると、いったん家へ帰ります。
「紙芝居が来たから、お金をちょうだい」
そう言って、親から小遣いをもらったのでしょう。
しばらくすると、硬貨を握って戻ってきます。お菓子を買った子は、紙芝居のよく見える前の場所へ座りました。
けれども私は、家が少し遠かったので、小遣いを取りに戻ることができません。
お金を持たないまま、後ろから紙芝居を見ていました。

お金を払わない子には厳しかった
紙芝居屋のおじさんは、お金を払わない子には厳しかったですね。
前の子どもの頭と頭の間から、何とか絵をのぞこうとする。
背伸びをする。
少し横へ回り込み、舞台を見ようとする。
すると、おじさんに注意されます。
「買わない子は、後ろへ行け」
そのように言われた記憶があります。
お金を払った子と、払わない子は、はっきりと分けられました。
買った子は前。
買わない子は後ろ。
紙芝居屋さんも、それで暮らしていたのです。お菓子を買わず、紙芝居だけを見られたのでは商売になりません。
今になれば、その事情も分かります。
しかし、当時の子どもに分かるのは、ただ一つです。
物語の続きを見たい。
お金を持っていなくても、見たいものは見たいのです。
怒られて後ろへ下がっても、その場から帰ろうとはしませんでした。
前に座る子どもたちの肩越しに舞台をのぞき込み、声だけでも聞こうとしました。
近くに住み、小遣いをもらって戻ってきた子が、少しうらやましかったですね。
買えなくても楽しかった
考えてみれば、私たちは、いつも何かを買っていたわけではありません。
毎日、小遣いを持っているわけでもありません。
友達が買った水あめが、練るうちに白くなっていくのを見る。
かみせんべいにジャムを塗るところを、隣からのぞく。
型抜きが途中で割れてしまい、周囲のみんなで残念がる。
自分が買えなくても、その場にいるだけで楽しかったのです。
物は多くありませんでした。
だからこそ、一つのものの周りに、多くの子どもたちが集まりました。
紙芝居屋さんが商売を終え、自転車で帰っていくまで、私たちはその場に残っていました。
茶碗でこすると漫画の絵が現れた
校門の外には、紙芝居屋さんだけでなく、不思議な商売をする人もやって来ました。
私の記憶に残っているのは、漫画や新聞の絵を、白い紙へ写し取って見せるおじさんです。
漫画の絵に、何かの液体を塗ります。その上に白い紙を重ね、茶碗の丸い部分を使って強くこすります。
やがて紙をめくると、それまで何もなかった白い紙に、漫画の絵が写っています。
子どもたちにとっては、まるで手品でした。
「どうして絵が移ったのだろう」
目の前で起きたことが不思議で、私たちは夢中になって見ていました。

おじさんは、絵を写すための液体を小さな瓶に入れ、白い紙などと一緒に売っていました。
それを買った子は家へ持ち帰り、自分でも漫画の絵を写しました。
今のようなコピー機はありません。
家にある茶碗を使い、何度も紙をこする。
そして、何もなかった白い紙に絵が現れる。
仕組みが分からなかったからこそ、その驚きも大きかったのでしょう。
箱の中で鳴いていたひよこ
校門の近くで、ひよこが売られていることもありました。
箱の中には、小さなひよこが何羽も入っています。
ピヨピヨという鳴き声。
柔らかな黄色い毛。
小さなくちばしと、細い足。
子どもが手を近づけると、ひよこたちは箱の中で動き回ります。
一羽、五円か十円ほどだったと思います。
子どもが何とか手を伸ばせる値段でした。
駄菓子と違い、ひよこは生きています。
手のひらに載せれば温かく、動き、鳴きます。
見ていれば、どうしても欲しくなりました。
私も、ひよこを何度も家へ連れて帰りました。
白熱球の下で育てた
小さなひよこを育てるのは、簡単ではありませんでした。
家へ連れて帰っても、死んでしまうことが多くありました。
体が冷えたのか。
餌が合わなかったのか。
何か病気があったのか。
子どもの私には分かりません。
動かなくなったひよこを見て、悲しい思いをしたことも一度ではありませんでした。
それでも、私は何度もひよこを育てました。
家では箱を用意し、その中へひよこを入れます。体が冷えないよう、白熱球を灯して箱の中を温めました。
今の電球とは違い、白熱球は明るさと一緒に熱を出します。
ひよこたちは、その暖かさを知っているかのように、白熱球の下へ集まりました。

体を寄せ合って眠る小さなひよこたち。
餌をついばみ、水を飲み、日ごとに大きくなっていく姿を、私は毎日見ていました。
黄色い産毛は、少しずつ羽へ変わります。
細かった足もしっかりしてきます。
小さな鳴き声も、成長するにつれて変わっていきました。
途中で死なせてしまうこともありましたが、私は何度も、ひよこを大きな鶏まで育てました。
売られていたひよこは、雄ばかりだったのでしょう。
やがて、立派な雄鶏になりました。
雄鶏は、どこへ行ったのか
小さかったひよこが雄鶏になると、朝早くから大きな声で鳴きます。
体も大きくなり、力も強くなります。
けれども子どもの私は、その雄鶏が最後にどうなったのか、よく分かっていませんでした。
気がつくと、いなくなっていたのでしょう。
ずっと後になってから、母に聞きました。
大きくなった雄鶏は、母がこっそり肉屋へ持っていき、さばいてもらっていたそうです。
私がひよこから育てた鶏です。
毎日餌をやり、白熱球で温め、大きくなるのを見守ってきたことを、母は知っていました。
だから、子どもの私には言えなかったのでしょう。
その話を後から聞いたとき、驚かなかったといえば嘘になります。
けれども、それも当時の暮らしでした。
鶏は、かわいがって育てる生き物であると同時に、卵や肉をもたらす、暮らしの中の生き物でもありました。
命を育てることと、命をいただくことが、今よりもずっと近いところにあったのです。
母が何も言わず肉屋へ持っていったことには、暮らしの現実と、子どもの私への気遣いの両方があったのだと思います。
校門の内と外
紙芝居を見せながら駄菓子を売る人。
不思議な液体で漫画の絵を写す人。
箱いっぱいのひよこを売る人。
校門の外には、学校の授業では出会えない大人たちがいました。
どこから来て、どこへ帰っていったのでしょう。
次にいつ来るのかも分かりません。
けれども、その人たちが姿を現すと、子どもたちはたちまち集まりました。
そこには、教科書に載っていない驚きがありました。
お金を払った子と、払えない子の違いもありました。
手品のような不思議さもありました。
小さな命を育てる喜びと、死なせてしまう悲しさもありました。
そして、大切に育てた命が、やがて食べ物になるという現実もありました。
学校の中では、先生からさまざまなことを教わりました。
しかし校門の外でも、私たちは世の中の一部を見ていたのです。
授業が終わり、校門を一歩出る。
そこには、学校から解放された子どもたちを待つ、もう一つの世界がありました。
買えなくても見たい。
怒られても、その場に残りたい。
小さなひよこを、自分の手で育ててみたい。
昭和30年代の校門の外には、子どもたちの好奇心を強く引き付けるものが、確かにありました。
あの拍子木の音も、白熱球の下で眠るひよこの姿も、今なお私の記憶の中に残っています。
文・磐田井(Ban.Tai Education Design 代表 / 元小・中・高校教員)

