コラム第19弾
12文字の窓から、私の未来が動き出した。
――はじめてのプログラミングと、カシオPB-100
文・磐田井|Ban.Tai Education Design
やあ、よく来てくれたね。
今日は、私が初めて「プログラムを組んで、動かす」という経験をした、小さな機械の話をしよう。
名前は、カシオの「PB-100」。
知っている方なら、あの横長の姿が浮かんだかもしれないね。初めて聞く方は、英字のキーが並んだ、薄い電卓のようなものを想像してみてほしい。
私にとっては、後のパソコンとの出会いにつながる、忘れられない一台なんだ。
「自分にも手が届く」という入口
PB-100は、1982年8月に発売されたポケットコンピュータ。国内の標準価格は14,800円だった。
この価格が、私にはありがたかった。
興味があることと、実際に手に入れられることの間には、案外、大きな距離がある。
どんなに面白そうでも、自分には届かないと思えば、眺めるだけで終わってしまう。PB-100は、その垣根を低くしてくれたんだね。
自分の手で触れられる。思いついたことを試せる。わからなければ、またやり直せる。
今振り返ると、あの価格は、機械を買うための金額であると同時に、新しい世界への入場料でもあった気がするよ。

作業場は、たった一行
画面は液晶一行、12文字分。上部には、設定や動作状態を知らせる小さな表示があった。
プログラムを書くのも、実行した結果を見るのも、この小さな窓だ。
今のパソコンなら、プログラムをずらりと表示し、隣に実行画面を開ける。資料を見ながら作業することだってできるね。
けれど、PB-100では、そうはいかない。
「この狭さで、どうやって作っていたの?」
そう思うかもしれない。私も今なら、よくこの画面で取り組んでいたものだと思う。
でも、当時の私にとっては、その一行に自分の入力したものが現れることが、もう十分に面白かった。
画面は小さくても、そこから始まる世界まで小さいわけではなかったんだ。
答えを出すだけでなく、手順を作れる
電卓は、数字を入れて計算すれば、答えを出してくれる。
PB-100では、その計算の手順を、自分で書いておけた。
数字を受け取る。計算する。結果を表示する。必要なら繰り返す。条件によって、次の動きを変える。
そんな指示を、BASICという言葉で組み立てていくんだ。
「毎回この順番で計算しているのだから、その手順を覚えてもらえないだろうか」
そう考えて、機械に伝わる形にする。
今まで用意された機能を使っていた私が、使い道を作る側へ、ほんの少し足を踏み入れた。あれは、そんな経験だったのだと思う。

動いた。それだけで、うれしかった
何より忘れられないのは、プログラムを組んだ結果が表示されたときの感動だよ。
華やかな映像が出たわけではない。大きな音が鳴ったわけでもない。
それでも、自分が書いた手順に従って、目の前の機械が動く。
「ああ、自分の考えたことが、動いている」
それだけで、うれしかったんだ。
表示された数字や文字の向こうには、自分が考え、入力した時間がある。ただの表示なのに、自分が作ったものだと思える。
今は、もっと複雑なものが作れるようになった。それでも、この最初の感動には、今の便利さでは置き換えられないものがあるね。

この窓で、ゲームまでできた
驚いたのは、計算だけではなかった。
12文字の画面で、ゲームまでできたんだ。
文字や記号を何かに見立て、位置や動きを工夫する。限られた表示の中に、遊びが生まれる。
PB-100用に作られたゲームは、今も愛好家の方々によって保存・紹介されている。
豊かな色彩も、広い画面もない。それでも、工夫すれば面白いものになる。
この経験は、私に「できないこと」の数より、「今あるもので何ができるか」を考える楽しさを教えてくれたように思う。
あの一台から、今につながっている
PB-100の後、私はパソコンと出会い、また新しいことを覚えていった。
操作も、できることも変わったけれど、自分で組んだものが動く面白さは、すでに知っていた。
その経験が、次の一歩を支えてくれたんだね。
教職40年を歩み、今、私はBan.Tai Education Designで、教育現場の仕事を少しでも軽くする道具づくりに取り組んでいる。
「この繰り返しを、少し楽にできないか」 「使う人が、迷わず始められないか」
そんなことを考えるとき、あの小さな機械に通じるものを感じる。
機能が豊富なことも大切だ。でも、手が届くこと、試せること、最初の「できた」を味わえることにも、大きな価値がある。
私自身が、その入口から歩き始めたのだから。

さて、君には覚えているだろうか。
初めて何かを作り、「できた」とうれしくなった日のことを。
私の場合は、12文字の小さな窓だった。
あの窓に結果が現れたとき、私の未来も、少し動き出していたのかもしれないね。
文・磐田井(Ban.Tai Education Design 代表 / 元小・中・高校教員)

