コラム第5弾
青く光る電卓を買った夜から、パソコンの隣の一台へ
――電卓の歴史と、新しい技術を使ってみる勇気
アルバイトで貯めたお金を握りしめて、電卓を買いに行った。1972年か、73年頃だったと思う。
当時、テレビでは「答え一発カシオミニ」というコマーシャルが流れていた。計算する機械が、自分にも手の届くものになる。それだけで、何だか未来が近づいてくるような気持ちになったものだ。
ただ、私が買ったのは、カシオではなくシャープの電卓だったように記憶している。機種名までは思い出せない。今のスマートフォンほどの大きさの、手に持てる電卓だった。 何より忘れられないのは、数字の青い光である。
今の液晶表示とは違い、暗い部屋でも数字そのものが浮かび上がって見えた。蛍光表示管の、あの少し青緑がかった光。私はそれを見るのが嬉しくて、必要もないのに足し算や引き算を繰り返していた。
ところが、困ったこともあった。電池が思いのほか早くなくなるのである。
友人の前で得意になって使っているうちに、肝心なところで電池が切れる。さっきまで未来の道具に見えたものが、急に黙り込んでしまう。その拍子抜けした感じまで、今も覚えている。
そして現在、私の机には、パソコンのテンキーと電卓が一体になった道具がある。
単独で計算する道具として使い、パソコンへ数字を入力する時にも使う。かつて青い数字に見とれていた私が、今はその子孫のような道具を、日常の仕事の中で使っている。
この二つの電卓の間には、半世紀ほどの時間が流れている。その歴史をたどると、単に機械が小さくなっただけではないことが見えてくる。
計算が、専門家の仕事から、誰もが手元でできることへと変わっていった歴史なのである。
計算するために、人はさまざまな道具を使ってきた
電卓が登場する前から、人は計算を助ける道具を工夫してきた。
日本で身近だったのは、そろばんだろう。数字を珠の動きに置き換え、指を使って計算を進める。道具を使いながらも、位取りや計算の手順を人間がしっかり理解している必要がある。
ほかにも、歯車を使った機械式計算機や、科学技術の計算を助ける計算尺があった。計算するという作業そのものに、知識と熟練、そして時間が必要だったのである。
そこへ登場したのが、電気の力を利用する計算機だった。
1957年、カシオはリレー式計算機「14-A」を発売した。リレーとは、電磁石で動かすスイッチのこと。その組み合わせで計算を行う仕組みで、後の半導体式電卓とは異なる。
国立科学博物館の資料では、重量は140kg、当時の価格は48万5,000円とされている。机ほどの大きさを持つ、事務所や研究機関のための機械だった。今の感覚で「電卓」と呼ぶと、少々驚いてしまう姿である。
1960年代――電卓は、自動車ほど高価だった
1961年、英国で真空管式の電子卓上計算機「ANITA Mark VII」「Mark VIII」が販売された。電子式卓上計算機の草創期を代表する製品である。「電気で動く計算機」と「電子回路で計算する電卓」を区別すると、歴史の流れが分かりやすくなる。
日本では1964年、シャープがオールトランジスタ式の電卓「コンペット CS-10A」を発売した。
価格は、53万5,000円。
シャープの説明によれば、当時の1300ccの自動車とほぼ同じ価格だったという。計算をするために、自動車一台に相当するお金を払う。それほど計算業務の省力化には価値があったのだろう。
翌1965年には、カシオが電子式卓上計算機「001」を発売した。価格は38万円。メモリー機能も備え、業務での計算を効率よく進めることを目指した製品だった。
この頃の電卓は、まだ個人が気軽に買うものではなかった。企業の経理や事務を支える、重要な設備だったのである。
小さく、安く――半導体が変えた電卓の姿
電卓を身近なものへ変えた大きな力が、半導体技術の進歩だった。
トランジスタを一つずつ組み合わせる段階から、多くの回路をまとめたIC、さらに集積度を高めたLSIへ。内部の回路を小さな部品にまとめることで、機械全体の小型化が進んでいった。
シャープの製品を見ても、1964年のCS-10Aは25kgだったが、1966年のIC電卓CS-31Aでは13kgに。1969年のLSI電卓QT-8Dでは1.4kgとなり、価格も9万9,800円まで下がっている。
わずか5年で、25kgから1.4kgへ。
「小さくなった」という一言では済まない変化である。運んで設置する機械が、手で持ち運べる道具へと近づいていった。

1972年――「自分の電卓」が現実になった
そして1972年8月、カシオミニが登場する。
価格は1万2,800円。表示は6桁だった。
事務用では8桁表示が一般的だったところを、個人や家庭での利用を考えて機能を絞り、小型化と低価格化を進めた製品だった。発売後10か月で100万台を販売したという数字からも、その衝撃が伝わってくる。
ここで電卓は、会社に置かれた高価な設備から、「自分で買って、自分で使うもの」へ大きく踏み出した。
もちろん、1万2,800円は気軽に出せる金額ではない。私にとっても、アルバイトをして、ようやく手に入れるような買い物だった。
それでも、手が届く。
この違いは大きかった。
買ってきた電卓で何を計算するのか。今考えると、明確な目的があったわけではない。まず、その新しい機械に触れてみたかったのだ。
数字を押す。答えが出る。もう一度試す。
それだけのことが、面白くて仕方がなかった。
青い光から液晶へ――電池切れの悩みを変えた技術
私の記憶に残る青い数字は、電卓の歴史の中でも、表示が移り変わる時代のものだった。
蛍光表示管は、数字そのものが光る。その見え方には独特の魅力がある。一方で、携帯して長く使うには、消費電力を抑えることが大切になる。
そこで大きな役割を果たしたのが、液晶表示だった。
1973年、シャープは液晶表示のポケット電卓「EL-805」を発売した。単3電池1本で約100時間使えることが、大きな特徴だったという。
自ら光る表示から、周囲の光を利用して読む表示へ。
見た目は控えめになったかもしれない。しかし、必要な時に長く使えるようになることは、日常の道具にとって大きな進歩だった。
さらに1976年には、シャープから太陽電池付き電卓「EL-8026」が登場する。電卓は、計算する速さだけでなく、電源の扱いやすさまで進化させていった。
友人の前で電池を切らしていた私にとっては、まさに欲しかった進歩である。
電卓の歩みを、年表で振り返る
| 年・時期 | 主な出来事 | 身近になったこと・変わったこと |
| --------------- | ------------------------- | -------------------------- |
| 電卓以前 | そろばん、機械式計算機、計算尺などを利用 | 道具と人の熟練を組み合わせて計算した |
| 1957年 | カシオ「14-A」発売 | リレー式計算機が一般の事務室でも使われるようになった |
| 1961年 | 英国でANITA Mark VII・VIIIを販売 | 電子式卓上計算機の時代が始まった |
| 1964年 | シャープ「CS-10A」発売 | オールトランジスタ化。25kg、53万5,000円 |
| 1965年 | カシオ「001」発売 | メモリー機能を備えた電子式電卓が登場 |
| 1966年 | シャープ「CS-31A」発売 | ICを採用し、内部回路の集積化が進んだ |
| 1969年 | シャープ「QT-8D」発売 | LSI化により1.4kg、9万9,800円に |
| 1972年 | カシオミニ発売 | 1万2,800円。個人・家庭への普及が大きく進んだ |
| 1973年 | シャープ「EL-805」発売 | 液晶表示と省電力化が携帯利用を後押しした |
| 1974年 | カシオ「fx-10」発売 | 三角関数や対数などを扱う関数電卓も個人の手元へ |
| 1976年 | シャープ「EL-8026」発売 | 太陽電池を搭載 |
| 1979年 | シャープ「EL-8152」発売 | 厚さ1.6mmのカード電卓へ薄型化 |
| 1983年 | カシオ「SL-800」発売 | 厚さ0.8mmのカード型を実現 |
| パソコン・スマートフォンの時代 | ソフトウェアとしての電卓も身近に | 専用機を持たなくても、画面上で計算できるようになった |
| 現在の私の机 | 電卓兼用のパソコン用テンキーを使用 | 手元の計算とパソコンへの数字入力を一台で担う |
※製品年・仕様はメーカーの沿革、博物館資料に基づく。価格は発売当時の名目価格であり、現在の物価に換算したものではない。
画面の中に電卓があっても、手元の一台を使う理由
今では、パソコンにもスマートフォンにも電卓がある。
それでも私は、電卓とテンキーが一体になった道具を使っている。
画面の中で計算する便利さもあるが、指先で実際のキーを押す感覚には、また別の使いやすさがある。手元で数字を確かめ、そのままパソコンでの作業に戻る。数字を扱う道具が、自然に机の上の仕事になじんでいる。
若い頃は、新しい機械を持つこと自体が嬉しかった。
今は、毎日の小さな手間を減らしてくれることが嬉しい。
この変化も、長く道具と付き合ってきたからこそ感じるものだろう。
電卓は、目を見張る未来の機械から、頼りになる日用品になった。驚きが薄れたというより、暮らしの中にすっかり根を下ろしたのだと思う。

「計算力が落ちる」という心配と、教育の役割
私が電卓に夢中になっていた頃、「そんなものを使っていたら、計算ができなくなる」という声を耳にした記憶がある。
教育現場40年を振り返ると、その心配を、ただ古い考えとして片付けることはできない。
子どもが数の意味や計算の仕組みを学ぶ時には、自分で考え、手を動かす過程が大切だ。かけ算の意味を理解する前に、答えだけを機械で出しても、それで学びが成立するわけではない。
一方で、何を調べるか、どのように比べるかを考える学習では、計算の負担を軽くすることが、考察に時間を使う助けにもなる。
計算の仕組みを学ぶ場面なのか。計算を使って何かを考える場面なのか。
そこを見極めて道具を選ぶことが、教える側の大切な仕事だと思う。
電卓を使っても、式を間違えれば、求めたい答えにはたどり着かない。数字の入力を間違えることもある。表示された結果が妥当かどうかを考える力は、やはり人間に必要なのである。
あの青い光は、今のAIにもつながっている
私は今、AIを使いながら、教育用アプリの開発にも取り組んでいる。
分からないことを尋ね、文章を整え、プログラムを試す。その時、青く光る電卓を初めて手にした頃の気持ちを思い出すことがある。
何ができるのだろう。まず、触ってみたい。
ただし、電卓とAIは同じではない。電卓の四則演算と違い、AIはもっともらしい説明の中に誤りを含むこともある。便利だからこそ、確かめながら使う姿勢が欠かせない。
それでも、新しい道具に触れる入口としての好奇心は、昔も今も変わらない。
道具に任せられる作業が増えたら、その分の時間を何に使うか。
学校であれば、子どもの話を聞く時間にできるかもしれない。教材を考える時間や、同僚と相談する余裕につなげられるかもしれない。
私が教育用アプリづくりで目指しているのも、そうした日々の小さな負担を減らすことである。
あの夜、私の手元では、青い数字が光っていた。
今、パソコンの隣には、電卓を兼ねたテンキーがある。
見た目も役割も変わったけれど、新しい道具を試してみたいという気持ちは、まだ残っている。
最初は、うまく使えなくてもいい。友人の前で電池を切らしてしまうような失敗があってもいい。
触れて、確かめて、自分の暮らしに合う使い方を見つけていく。
私にとって技術の進歩は、遠い研究所の出来事であると同時に、こうして机の上で続いている、小さな物語なのである。
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